憧れのトンイとデート8月21日(水) 憧れのトンイとデート(PM) 水原を出て、バスに揺られる事1時間。 次の目的地であるソウルの昌徳宮に着いた。 ユネスコ世界文化遺産・昌徳宮。 14世紀後半から20世紀まで続いた朝鮮王朝を現在に伝える古宮が5つある。 その中でも、保存状態に優れ美しい自然と建築との調和で人々を魅了しているのが昌徳宮である。 韓国の5大古宮の中で、唯一ユネスコの世界文化遺産に選定されていて、43,000平方mの広さを誇る敷地内は見どころが満載である。 昌徳宮は1,405年、景福宮の離宮として建立されたものである。 壬辰倭乱で全て焼失した後、1,615年に再建されたが、約270年間は正宮となっており、朝鮮王朝で王が最も長く住んだ宮殿で、朝鮮王朝の生活様式や趣き、思想などが見て取れる。 政務のための効率的構造に優れている景福宮に対し、離宮・昌徳宮は自然が引き立つ豊かな生活空間となっている。 中でも自然にあふれる庭・秘苑は韓国伝統庭園の真髄とも言われています。 そうした景観の卓越や希少資料の存在などから、昌徳宮は1,997年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。 下の写真で、建物へ向かう道の両側に、石碑のような物が立っているのにお気づきでしょうか。 建物に向かって左側には「正一品~正九品」とあり、右側には「従一品~従九品」とある。 王様が宮中に勤める官人を集めて訓示でも垂れたのだろうか。 「正」の方が身分が高く、その身分に応じて並ぶ場所か決まっていたようである。 次の写真は最前列の正一品の場所である。 此処には宮廷の高官(王の寝所に侍する嬪・女官・皇后・妃)たちが並んだのだろう。 ☆☆ちゃん、写真を借りたよん。(^_-)-☆ そうそう、君がトンイでNIJIが朝鮮王朝第19代王の粛宗(スクチョン)だよ。(^◇^) 先に書いたように、此処は景福宮の離宮であるが、270年間ものあいだ正宮として使われ、代々の王が此処で政務を行っていた所である。 よって、王となったトンイの子も此処で政治を行っていた事になり、そしてまた、トンイも女官として働いていた事になる。 実際に女官が住んだと思われる建物にも案内してもらった。 こんなに美しくて広大な宮殿の中で、トンイと粛宗は、お互いに胸を焦がすような大恋愛を繰り広げていたのだ。 但し、忘れてならないのは、この同じ場所で陰謀・裏切り・嫉妬が渦巻き、熾烈な権力闘争が繰り広げられていたという事実である。 此処にも、かなりの門があり階段も半端ではない。 門は代表で1つだけ載せることにした。 門を潜り中に入って行くと参道と言いうのだろうか、2段になっていて中央は神が通る道で、その両側に王様と人の道がある。 王と人の道は中央の神の道の左右にあって行き来が出来るが、神は逆戻しないと考えられていたので中央のみで帰り道というのが無いのだ。 よって、王も人も神の道を歩いてはならない。 では何故、中央の神の道を人が歩いているのか。 それは「お客様は神様」だから。(^◇^) 建物の裏手に回ると三途の川がある。 NIJIも渡ってみた・・・長生きするかも。(^^♪ 広々とした故宮の樹々や風景を見渡しながら、2人(トンイと粛宗)のラブロマンスに想いを馳せ、「ロマンチックだなぁ」と思っていたら、いきなりNIJI目の前に今度は幼少時代のトンイが現れた。 かっ、可愛い~!(^^)v これは冒頭に紹介した、3世代親子の参加者で4歳になる女の子である。 扇子で顔を扇いであげたらNIJIに懐いて・・・。 あさ☆ちゃん、お茶目で可愛かったよ。(^_-)-☆ 重臣を集めて開いた政務会議。 王は奥手の中央に座り決済を下していった。 次の写真は、敷地内の一番奥手の高台にある何代目かの王の墓である。 造りは生前と変わらない様に出来ていて、王の命令を伝える兵士や、王が直ぐに飛び出せるよう、馬などの像が模られて周りを囲んでいる。 お墓からの帰り道、韓国の国鳥であるカササギが見送ってくれた。 ガイドさんは「皆さんは運が良い」と言っていた。 ここで、午前中に訪れた水原城の『イ・サン王』と『トンイ』の関係性について繙いておきたい。 トンイが第19代王・粛宗(スクチョン)の側室となってから、当時の王妃であったチャン・ヒビンは、前王妃・仁顯(イニョン)を陥れた罪により粛宗の手によって服毒自殺を命じられます。 その後、トンイは宮廷内の争いから、チャン・ヒビンの子と、自らの子・延仍君の2人を守るため宮殿を去り、後半の人生を貧しい人たちのために尽くします。 しかし、40代の若さでこの世を去ってしまいます。 その後、粛宗は王位をチャン・ヒビンの息子に譲り、1,721年に第20代朝鮮国王・景宗として即位しましたが、彼も病のため若くして崩御してしまいます。 その後を継いだのが、トンイの子・延仍君です。 この時、トンイは既に他界しており息子の即位を見ることはありませんでした。 その後、1,724年、30歳で兄の後を継ぎ第21代国王として即位したのが英祖で、朝鮮王としては最長の53年の長きに亘り王座に君臨します。 その後、英祖は数々の改革を行った名君として83歳の生涯を終えます。 ただ、不幸な事件(謀反の輩に陥れられ、刑として水も食料も与えられず米櫃の中で衰弱死)で王位継承者であった我が子・王世子を失います。 わが子の王位継承が叶わなかったので、その王世子の子であった孫のイ・サンを王位継承者として育成します。 そして、イ・サンは25歳で即位し、第22代国王・正祖として王朝史に登場してきます。 つまり、イ・サン王はトンイの曽孫ということになるのです。 しかし、イ・サンも病が悪化して49歳で予期せぬ死に倒れてしまいます。 さて、トンイこと淑嬪崔氏の実像とは? その人物像には、いくつか説があるようですが正確な記録は残っていないようです。 ドラマ『トンイ』では、逆境にもめげることなく信念を持って強く人生を生き抜き、賢母型の女性として描かれていますが、いずれにしても1つ言えることは、奴婢という最下層の身分でありながら、朝鮮王朝の王の側室にまで上り詰めた来し方は、相当に強かだったということが言えると思います。 さて、薀蓄はこの辺にしておきましょう。(^^♪ いずれにしても、テレビに映し出される光景を目の当たりにした事で、今後はドラマを見るのにも熱が入ることだろう。(^^)v 数百年の時空を超えてトンイとのデートを楽しんだ後、免税店で目の保養をしたところで夕食となる。 夕食は豚肉のジンギスカン? 肉の片側が焼けると、 違った!(^^♪ レストランの女性店員がひっくり返してくれる。 そして、焼き上がりを見計らって料理用鋏で一口大に切ってくれるのだ。 少し脂身が多かったが、それなりに美味しかった。 OPになっているナイトクルーズはパスした。 ナイトクルーズなら、上海でも蘇州でも見ているし、国は違えど、そう変わるものではあるまい。 写真は昨年7月、上海旅行時のナイトクルーズ。 それより今夜は韓国最後の夜である。 今夜の1人宴会用のアルコールを調達する。 自分への土産に3本のマッコリを買う事にした。 明日は5:00にモーニングコールが掛かり、6:00にはホテルを出発する。 それでは最終章 家族との別れ にお進みください。 |